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仙台高等裁判所秋田支部 昭和46年(ネ)100号 判決 1972年8月20日

控訴人

小田川与市

被控訴人

敦賀彌男造

主文

一  原判決を左のとおり変更する。

二  控訴人は被控訴人に対し、金六三万四、七〇八円および内金三二万八、〇〇〇円に対する昭和四二年七月六日以降、内金二三万六、七〇八円に対する昭和四三年八月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の負担とする。

五  この判決は、被控訴人勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠の関係は、左のとおり附加するほか、原判決の事実摘示(ただし原判決五枚目表三、四行目と、六枚目裏末行から七枚目表三行目までの部分を除く。)と同一であるから、これを引用する(なお原判決四枚目裏三行目のつぎに、「(七)慰藉料 金五〇万円」と、同七枚目裏一行目の「被告本人尋問の結果」のつぎに、「同和火災海上保険株式会社、木造町役場、柏村役場に対する各調査嘱託の結果」とそれぞれ加入し、同六枚目表一行目に「頭部外傷第Ⅱ裂」とあるのを「頭部外傷第二型」と、同六枚目裏二枚目に「原告」とあるのを「被告」と、同三行目に「被告」とあるのを「原告」と、同五行目に「右側に」とあるのを「左側」と、同八行目に「対等額に於て相殺する旨の意志表示をする」とあるのを「対当額において相殺する旨の意思表示をする」とそれぞれ訂正する。)。

(控訴人の主張)

(一)  本件事故は、控訴人運転の自動二輪車(以下「控訴人車」という。)が時速三五キロメートル(このことは、事故現場の控訴人車のスリツプ痕の長さが一四・一〇メートルであることから明らかである。)で進行中、前方を歩行中の被控訴人が突然控訴人車の進路に寄つて来たため避ける間もなく発生したのである。

また被控訴人が事故当時乾橋の中央付近の中央より稍左側を歩行するという極めて非常識で奇矯な行動をとつたことが本件事故の主要な原因をなしているのであつて、かりに控訴人に過失があつたとしても、それは軽微である。したがつて、被控訴人の過失の割合は、原判決の認定した二割よりもさらに大である。

(二)  本件事故は、被控訴人が過失により控訴人の進路を妨害したことにより発生したのであるから、本件事故により控訴人の蒙つた損害合計金六八万八、五〇〇円のうち、被控訴人の過失割合による金額は、被控訴人においてこれを賠償すべき義務がある。したがつて、控訴人の相殺の抗弁は、これを認容すべきものである。

(三)  被控訴人の後記過失の主張のうち、控訴人車が被控訴人の右側を進行すべきであつたとの点は本件の事案に即しない主張であり、また控訴人が警笛を吹鳴しなかつたことは認めるが、それは、被控訴人が突然控訴人車の進行方向に寄つて来たので、その余裕がなかつたためである。

(被控訴人の主張)

本件事故は、控訴人の左のとおりの過失に基因して発生したものである。

(イ)  控訴人の主張によれば、当時被控訴人は乾橋の中央より稍左側寄りを歩いていたので、その左側をすり抜けようとしたというのであるが、かような場合、控訴人としては、被控訴人の右側を通り抜けるよう進路を右に転ずべきであつたのに、これを怠り、何ら進路を変えることなくそのまま直進した。

(ロ)  控訴人の主張によれば、前記のとおり、当時被控訴人は乾橋の中央より稍左側寄りを歩いていたというのであるが、橋のたもとから、道路が控訴人車の進行方向左側に分岐している関係上、被控訴人がさらに左に寄ることも予想された筈であるから、控訴人としては、臨機の措置をとり得るよう減速することが絶対必要であつたのに、これを怠り、従前の速度のまま突進した(なお従前の速度につき、控訴人は、スリツプ痕の長さが一四・一〇メートルであることを根拠に、時速三五キロメートルであると主張するが、右の一四・一〇メートルというのは衝突地点までの長さであつて、もし衝突、転倒という事態が起らなかつたならば、スリツプ痕の長さはもつと長かつた筈であるから、右主張は誤りである。)。

(ハ)  控訴人は、背後から歩行者(被控訴人)の左側を通り抜けるという危い運転をしたのであるから、警笛を吹鳴するなどして相手方に注意を与えるべきであつたのに、これを怠つた。

(証拠)略

理由

一  被控訴人主張の日時場所で、控訴人車が歩行中の被控訴人の背後に追突し、同人を路上に転倒させ負傷させるという事故の発生したことは、当事者間に争いがない。

〔証拠略〕を総合すれば、本件事故発生の状況は、つぎのとおりであつたことが認められる。すなわち、控訴人は、昭和四一年五月五日午後八時二〇分頃、弘前市内での観桜会から帰宅の途中、控訴人車の後部補助席に小田川義明を乗せ、これを運転して、五所川原市大字小曲字沼田一番地先の乾橋(同橋の幅員は約八メートルで、当時橋上の道路には歩道や横断歩道は設けられていなかつた。)上の道路左側を時速四〇キロメートルを越える速度で西進中、橋上を斜めに北方(控訴人車の進行方向からみて右側)から南方に向つて横断し道路中央稍左側を同一方向に歩行している被控訴人を約三一メートル前方に認めたが、同人と同橋左側欄干との間に約二・八五メートルの間隔があるので、この間を通過できるものと考え、警笛を吹鳴して同人に警告を与えることもせず、そのままの速度で同人の左側を通過しようとしたところ、同人がさらに左寄りに寄つたので、危険を感じ約一五メートル手前で急停車の措置を講じたが及ばず、控訴人車を同人に追突させたうえ、同人をその場から右側に約一・四〇メートルはね飛ばして転倒させ、同人に頭部外傷第四型、頭蓋陥没骨折、頭蓋底骨折、左下腿左肘打撲傷等の傷害を負わせ、自らも控訴人車もろとも右衝突地点から約三・五メートル斜左前方の欄干に激突し、さらに前方に約三メートルはね飛ばされて転倒し、受傷した(なお〔証拠略〕によると、当時乾橋上の道路は乾燥した良好の舗装道路であつたところ、本件事故直後に実施した実況見分のさいには、衝突地点から手前の方向に長さ一四・一〇メートルのスリツプ痕か現認されたことが認められるのであつて、右スリツプ痕の長さと、さらに衝突後の惰力により、控訴人および控訴人車が転倒した余力とをあわせ考えると、衝突時の控訴人車の時速は優に四〇キロメートルを越えていたものと認められる。)。当審証人小田川義明の証言ならびに原審および当審における控訴本人尋問の結果中以上の認定に反する部分はたやすく措信できず、他には該認定を覆えすに足りる証拠はない。

およそ自動車を運転して同一方向に向つている歩行者の側方を通過しようとする場合には、運転者は、前方の歩行者の動静に注意し、歩行者が自車の進路上に出てくる危険のあるときは、警笛を吹鳴して警告を与え、さらに減速するなど、事故を未然に防止できる速度と方法によつて進行すべき注意義務があるのに、控訴人は、これを怠り、被控訴人の左側を無事に通過できるものと速断して、警笛の吹鳴も減速もせず、漫然時速四〇キロメートルを越える速度で進行した過失により、本件事故を発生させたものであるから、控訴人は右の過失による不法行為に基づき被控訴人の蒙つた損害を賠償すべき責任があるといわなければならない。

二  本件事故により被控訴人の蒙つた損害、控訴人の過失相殺の主張、自動車損害賠償責任保険からの損害賠償額および見舞金の支払等についての当裁判所の判断は、左のとおり付加するほか、原判決九枚目表三行目から一一枚目表一〇行目までに記載の原裁判所の判断と同じであるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決九枚目裏六行目から同七行目にかけて「株式会社津軽鉄道の保線線路班」とあるのを「津軽鉄道株式会社の線路班副長」と訂正し、かつ同一〇枚目裏七行目の「成立に争いのない」から同九行目の「認められ」までの部分を、「原告が自賠責保険金(損害賠償額)八三万円の支払を受けたことは、同人の自陳するところであるが、成立に争いのない乙第一三号証の一、二および同和火災海上保険株式会社に対する調査嘱託の結果によれば、右金員は、傷害による損害金(三〇万円)および後遺障害補償金(五三万円)の趣旨で支払われたものであることが認められ」と改める。)。

以上の事実(原判決引用の事実)によれば、被控訴人の受領した自動車損害賠償責任保険による損害賠償額金八三万円は、被控訴人の財産的損害のうちの医療費、付添料、得べかりし利益の喪失による損害に順次充当され、また見舞金六万二、〇〇〇円は慰藉料額に充当されたものと認めることができる。したがつて、被控訴人が控訴人に対してなお請求しうる損害賠償額は、財産的損害の分が金四二万四、四〇八円(得べかりし利益の喪失による損害の残金三五万四、四〇八円と弁護士費用七万円との合計金額)であり、慰藉料額が金三三万八、〇〇〇円であることは、計数上明らかである。

三  つぎに、控訴人の相殺の抗弁について判断する。

民法第五〇九条は、不法行為による損害賠償債権を受働債権とする相殺を禁止しているが、右規定の趣旨とするところは、不法行為の被害者をして現実の弁済により損害の填補を受けさせるとともに、不法行為の誘発を防止することにあると解される。しかし、同一の衝突事故における双方の過失に基づく損害賠償債権の相互間においては、全く同じ性質の債務が同時かつ相互に発生したわけであるから、現実の弁済による損害の填補の要請を理由にその相殺を禁止する実質的根拠に乏しいし、またこれを許しても、不法行為の誘発という弊害を生ずることはありえない。かえつて、かような相殺による清算を許すことは、別訴による手続の反覆を回避でき、右各債権につき迅速簡易な決済が得られるという利点を伴うのである。以上の理由により、右のような場合には、民法第五〇九条の適用はなく、一方の損害賠償債権をもつて他方の損害賠償債権と相殺することは何ら妨げないと解すべきである。

そこで、右相殺の抗弁の当否について検討するに、〔証拠略〕を総合すれば、控訴人は、前認定のとおり、被控訴人に追突するとともに控訴人車もろとも乾橋の欄干に激突して転倒し、これがため、頭部外傷第二型、顔面打撲挫滅裂創、右耳介部挫創、右手背挫傷等の傷害を負い、中村整形外科病院に入院して昭和四一年五月一三日まで治療を受け、その後約一か月間通院して治療を受けたことが認められる。

ところで、被控訴人は、本件事故当時歩車道の区別のない幅員約八メートルの乾橋上の道路(同所には横断歩道は設けられていない。)を北側から南側に向つて斜めに横断しつつあつたもので、控訴人車がその東方約三〇メートルの地点に至つた時には道路中央稍南側で同橋南側欄干から約二・八五メートル離れた地点を西方に向つて歩行していたが、控訴人車がその後方約一五メートルの地点に迫つた時さらに南寄りに寄つて控訴人車の進路上に出たため、遂にこれと衝突し、本件事故を発生させたものであることは、前認定のとおりである。およそ横断歩道以外の場所で道路を横断しようとする歩行者は、左右の交通の安全を確認したうえ、なるべく速かに、かつできるだけ最短距離で横断を終え、しかも車両の交通の状況により適宜立ちどまるなどして、車両の交通の安全を阻害しないようにする注意義務があり、ことに本件においては、前認定のとおり、被控訴人が道路中央稍南側で同橋南側欄干から約二・八五メートル離れた地点を西方に向つて歩行を続けていたさい、控訴人車がその後方約三〇メートルの地点に迫つていたもので、かように歩行者と道路端との間に約二・八五メートルもの間隔の存するときは、後方から進行してくる自動二輪車がその間を通り抜けようとすることのありうることは当然予想できるところであるから、被控訴人においては、後方から来る車両の有無、動静に注意して、車両の通過し終るまで暫らく立ちどまるなどして事故の発生を未然に防止すべきであるのに、同人は、かような注意を全く払わずに前記のような行動に出て控訴人車と衝突し、本件事故を発生させたのであるから、該事故は同人の過失に基因して発生したものということができる。

そして、〔証拠略〕によれば、控訴人は、右傷害の治療に伴う医療関係費として、合計金五万八、〇〇〇円(入院中の医療費九、〇〇〇円、雑費一万五、〇〇〇円、退院後の薬代等三万四、〇〇〇円)を支出したこと、控訴人は、当時農業を営む一家の事実上の責任者として、自己および小田川義直(妻の父)の各所有名義の農地を耕作していたが、前記受傷の後約二年間は農作業をすると激しい頭痛に襲われる状態であつたため、昭和四一年五月から昭和四二年一二月まで農繁期には訴外工藤市三郎および同山口一二をして農作業を手伝わせ、その報酬として訴外工藤に対し合計金二七万五、〇〇〇円、同山口に対し金二五万五、五〇〇円をそれぞれ支払つたこと、ならびに控訴人は、昭和四三年以降は完全に健康を回復して現在に至つていることが認められ、他には右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、控訴人は本件事故の結果、合計金五八万八、五〇〇円の財産的損害を蒙つたものというべく、また本件事故の態様や傷害の部位程度その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、控訴人の請求しうる慰藉料額は金五万円を下らないと認められる。そして、本件事故の発生について控訴人にもかなりの過失のあることは、前記のとおりであるので、その過失を斟酌すると、控訴人が被控訴人に賠償を請求できる額は、以上の合計額の二割にあたる金一二万七、七〇〇円(財産的損害の分が金一一万七、七〇〇円、慰藉料の分が金一万円)と認めるのが相当であるところ、控訴人が昭和四五年九月一日の原審第二〇回口頭弁論期日において被控訴人に対し、本件相殺の意思表示をしたことは、記録上明らかであるから、これにより、被控訴人の請求しうべき前記損害賠償金のうち、金一二万七、七〇〇円(その内訳は、財産的損害のうち、弁済期が先に到来するものと認められる得べかりし利益の喪失による損害の分が金一一万七、七〇〇円、慰藉料の分が金一万円)は消滅したものというべきである。

四  したがつて、被控訴人の本訴請求は、金六三万四、七〇八円および内金三二万八、〇〇〇円(慰藉料分)に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四二年七月六日以降、内金二三万六、七〇八円(得べかりし利益の喪失による損害分)に対する最終支給予定日の後である昭和四三年八月一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でその理由があるから、これを認容し、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

よつて、これと異なる原判決を右のとおり変更し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九六条、第九二条、第八九条を、仮執行宣言につき、同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松岡登 横畠典夫 小泉祐康)

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